ヒミコの鬼道
鬼道というのは、中国人から見て、異形のものであったからこう呼んだのであろう。
私はこれを祈祷であろうと考えている。
良く、道教的宗教儀式などと考える人が居るが、根拠は希薄である。
道教的というなら、儒教的なものもあって良さそうだが、そんなものが伝わっていたという様子は無いからである。

神道における祈祷を考えると、
物部氏の「振るの神事」、
大伴氏の「祓いの神事」、
中臣氏の「口寄せの神事」がある。
あと対馬に残る「亀甲卜占」があるが、広範に伝わっておらず、ここでは除外して構わないだろう。
又、各神社に伝わる固有神事は、神社縁起にまつわるものであるから、これも除外する。

「振るの神事」は鈴などを鳴らすことによって、破邪・鎮め・結び等を祈祷するものである。
「祓いの神事」は水に濡らした榊を用いて、破邪・鎮めを行うものである。
「口寄せの神事」は丁度恐山のイタコのように、神言を受ける神事である。

「口寄せ神事」が卑弥呼の鬼道に当たるという説がよく言われるが、私は疑問視している。
というのは、口寄せ神事は一人では出来ないからである。

「男弟あり、佐けて国を治む」
「男子1人あり、飲食を給し、辞を伝え居所に出入りす」とあるが、
男弟は男巫とは考えられないし、男子は奴碑又は下僕のようである。

通常口寄せ神事を行うに際して、神事に関わるものは、
斎戒沐浴し、身辺清浄に保たなければならない。
「飲食を給す」等と云うことは行わないのである。

ちなみに、宇佐神宮の祈祷は、この「口寄せ神事」であり、
宇佐では辛島氏の巫女が行ってきてる。
それ故、中臣氏は辛島氏と同系ではないかと考えられる。
琴弾神事も同じ系統である。

では、ヒミコの祈祷は、三種の内いずれかといえば、大伴氏の行う「祓いの神事」が最も近いと考える。

物部氏の「振るの神事」は現在出雲大社で、普通に行われている。
巫女が舞ながら、鈴ふりを行い、祈祷する。
これは、祈願者がいてその面前で舞ながら行うものであり、ヒミコの祈祷とは異なると考える。
ただ、「よく人を惑わす」とも魏志に記されているので、
時として、ヒミコも振るの神事や口寄せの神事を行っていたと考えることにやぶさかではない。

神社で神主が白い紙を寄せ集めた幣(ヌサ・ミテグラ)を振って祓いを行うが、
これは元々は榊でしつらえた神籠(ヒモロギ)であり、神の依代(ヨリシロ)でもある。
更にその原初は、アイヌが神送りの際用いるヌテウであり、神道祭祀中最も原初的と考えられる祭祀形式であって、
これを行わない神社はない。この様なことから、ヒミコの祈祷とは、
「祓いの神事」であると考えられるのである。

更に云えば、神籠のその原初は巨木信仰に迄遡るのである。


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