山の民
海の民に対して、山の民というものを考えています。
アイヌや山窩と呼ばれる人たちは、その生活圏を山中にしています。
漁労に対して狩猟を行っていた人たちです。
山の民の奉祭する神々には、次のような神々がいます。
大山津見
火之神
金山彦神
熊野神
玉祖命

山の民は、狩猟・採取を行うため、定住せず、季節変化に伴い山野を移住する生活を送っています。
漂泊の民であるわけです。
この為、王権にとっては、掴み所が無く、常に蔑視され下層に位置付けられてきました。
河原者、猿楽師、マタギなど、今では定住を強要され霧散した人たちです。
たとえば、竹細工師や木地師などは全国の山野を巡り素材を求めていましたが、
彼らも又、山の民といって良いでしょう。
定住せず移動生活を送ると云うことは、資産形成の上では定住者に比して不利であるわけで、
これも蔑視の遠因とされていたのではないかと考えられます。
更に云えば、彼らは自らの生活圏を侵されない限りは武力に訴える様な行為はまずしない、という風があります。
粛々と、生活者としての生涯を送り、権力志向がないということです。
人の支配・被支配関係を忌み嫌っていたといえます。非常に高潔な人達であると感じます。

一方、各地を移動することは、同時に情報や文化の伝達者でもあるといえるわけで、
この点、山の民の伝説・伝承というものには、虚胆のない相当な真実が含まれていたとも思われます。
記紀に星にまつわる神話が少ないのは、他の民族の神話に比して特徴的なことですが、
私が思うに、星神達は山の民が奉祭しており、それ故記紀に取り上げられなかったのではないかと考えています。
いわゆる古史古伝には、星神にまつわる神話が記紀以上に多く載せられていますが、
この事は、古史古伝が山の民の伝承・神話を取り入れているためであると考えられるのです。
後の時代に神仏混交により山岳修験というものが成立していますが、
これも山の民の文化を伝えるものであろうと考えています。
明治期に禁止されたのは、国家神道の教導という政治判断によるものだと思われます。
犬を飼うという風習は、海の民や、農耕民としてよりも、むしろ山の民としての風習が根強く残っている
ものではないかと考えられます。
列島内で、大陸文化の伝搬が非常に速い速度で行われてきたことは、
この山の民の存在を抜きにしては考えられないことです。
この意味でも、私は彼らの復権、正当な位置づけを願っているのです。
木花咲夜姫は、海の民も山の民も共に奉祭しています。
これは、非常に興味深いことです。
マタギは、山窩の系譜で、山の民です。
主に狩猟を生業としていた人達の内、東北地方に最後まで残った人達をこう呼びます。
呼び名の由来は不明とされているようですが、山の民は山歩きの際、迷わないように、
股を持った木切れを利用して道しるべとします。これを「股木」と言い、その道を「股木道」と言います。
マタギという呼び名はここから来たもので、他説は笑いものです。

西日本では、半農半猟でただ「猟師」と呼んでいましたが、
系譜上は、国棲(クス)の一族です。
書紀景行記の蜘蛛族や、古事記応神記に記される吉野の国主(クズ)と同族だと思われます。
出雲系古族と考えてもあながち間違いではないでしょう。
熊野玖須毘命や大己貴尊=大国主命はこれを示唆しています。
鉱山探索・採掘をする人達を「山師」と言いますが、これも山の民です。
山窩衆の風俗として、一夫一婦制を厳格に守っていたと云うことが伝えられています。
彼らには独特の掟があり、血の論理をかなり神聖なものとして捉えていたようです。
性行為自体も厳粛な儀式であり、大地神の見守る中でこれを行う事により、
大地神の恵みがその子にもたらされると考えていたようです。
それ故、人目を憚らず野や河原で行為に及ぶというような風俗が知られています。
芸能世界で一子相伝の伝統がありますが、これも元来は山の民の文化的伝統ではないかと見ています。

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