海の民
人類が日本列島で発生していない以上、今の日本人も古代人も共に何処からか列島にやってきた人達の子孫です。
列島が、大陸と陸続きだった時期以降、列島にやって来るには海路で来なければなりません。
日本海や太平洋を渡って航海するには、それなりの航海能力が必要でしょうから、海洋民である事がある程度の条件になります。
海の神を奉祭する人達を、私は「海の民」と呼びます。
これに対して、別稿で記しますが、山の神を奉祭する人達を「山の民」と呼びます。

海の民の奉祭する神々には、次のような神々がいます。
大綿津見
天道神
豊玉彦
豊玉姫
鵜萱不葺合尊
玉依姫
宗像三姫(市寸島比賣
住吉三神
龍神
野間神女

又、海の民の説話には、
「竜宮伝説」「虚舟伝承」「苫屋伝説」「龍神伝承」「山幸彦神話」「八百比丘尼伝説」
等があります。
個々についての記述は別機会にしますが、これらの神々が祭ってあったり、伝承が残る地域は
かなり広範囲に及んでいます。
従って、ある地域に残る説話を以て、その説話の本拠がその地域だと特定するのは、かなり困難な作業であることを認識しておく必要があります。
「住めば都」説、つまり自分の住んでいる地域に残る説話をもって、その説話の起源地だと強弁する説は、はっきり言えば誤謬・独りよがり・自己満足に過ぎません。
古代史を語るとき、この「住めば都」説がかなりまかり通っているのが実態ですが、
強弁するからには、他地域の事も一応考慮し、比較判断を行ってからにすべきだと考えます。

天津神には二重の意味があるように考えています。
天=海と、天=天子、記紀では、結構錯綜としています。
天日矛はどちらかというと天子の方でしょう。
天子の「天」に対する対立概念としては「国津神」が置かれますが、
海の「天」に関して、「国津神」を置くと誤ると思います。
ワダツミの語源については、古来の和語だとしか云いようがないと思います。
「ワダ」「アタ」「ハタ」などの音韻変化語も同じです。
水のことをアイヌ語で「ワッカ」と云いますから、これが語源でしょう。
海洋民の原初的な葬風は、舟葬でしょう。
葦舟、若しくは薦舟を作って、遺骸を乗せて流すという葬風です。
その後、風葬も行われたようですが、何時の頃からか、土葬に変わったようです。
墓石もなければ何もない。そういう葬風が長く続いたようです。


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