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島根県美濃郡匹見町大字石谷口1323 | |
延喜式内社 菅野天財若子命神社(スカノノアメノタカラワカコ) 通称:若宮神社 祭神「天若日子命、下照比賣命」 |
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「風姿」 98/09/13 古社である。 何故この様な山中に、この神社があるのかが不思議である。 この地は、「益田」から高津川を遡上、「石見横田」から匹見川沿いに遡上し匹見峡に向かって行き、 「谷口下」の別れ口から、支流の石谷川を遡上して約5〔km〕上った山中にある。 匹見自体が大渓谷地帯であるのに、その支流を更に進むのである。 宮所の標高約400〔m〕。全くの隠れ里としか言いようがない。 周囲は800〔m〕から1200〔m〕級の山に囲まれている。 辺りには数件の人家があるだけである。 しかし、崇敬は厚く、拝殿内外には所狭しと寄進記録が取り付けられている。 社格は高く、出雲大社からの奉弊もあり、「若宮神宮」との記載もある。 この付近は、かつて麻の産地でもあったようである。出雲大社への奉納記録が残っている。 本殿左右に境内社が2社ある。 宮司には会えなかったが、「大神」と云う姓の様で、90歳を越しているという。 出雲・石見・丹後・丹波・美濃の延喜式内社に、主祭神として天若日子命を祭った神社はないので、 ここがその居所であったと考えられる。 この付近に「喪山」が確認できれば、記紀の記載内容がこの地であると断定できる。 大神さん宅に伺ったが、人なつっこい柴犬2頭がいるだけであった。 暫く付近をうろついて、夕刻再訪したが、近所のおばさんが柴犬を散歩に連れ出した。 長期不在である。後ろ髪を引かれる思いで帰途についた。 このおばさんと、もう一人通りすがりのおじさんに話しを聞いたが、何も解らない。 祭神すらご存じない。 大神さん存命中に再訪の必要がある。伝承が又一つ失われかかっている。 1999年正月再訪 (氏子総代さんの話) 現在の宮司は、大神さんでは無く、匹見町横屋、紙祖(しそ)八幡社宮司、斉藤さんが兼務とのこと。 喪山は確認できず。現在の氏子の大半は、300年ぐらい前に移住してきたものが多く、 昔のことは解らないとの弁。現在の社殿もその頃のものらしい。 紙祖八幡宮を訪ねたが、斉藤さんに会えず。 奥さんの話では、近郷18社の宮司を兼ねているため、正月は飛び回っているとのこと。 |