上一宮大粟神社
徳島県名西郡神山町神領字西上角330
延喜式内社

主祭神:大宜都比売命
脇神:天石門別八倉比売命・大粟比売命
「風姿」 99/06/13
旧阿波国一ノ宮と云われたとも云う神社である。
今回の阿波行きの中で、初めて大宜都比賣を主祭神にした神社に出会えた。
先に記した、一宮神社や八倉比売神社が、ここから発している事が解る。
この神社は、上角谷川が鮎喰川に滌ぐ際、ぐるりと廻っている小山の山中にある。
丹塗りの本殿は、阿波が又、丹の産地でもあったことも思い起こさせる。

こういう神社がきちんと地元に残り、静かに奉祭されていることが、大変有り難い。
学者も含めて古代史家の中に、応神以前は寓話であるとか主張する者がいるが、
その様な者達は、ではこの神社などをどの様に位置づけ説明するのか、聞いてみたい好例の神社である。
記紀が創作され、その後この様な神社が創建されたとでも云うのであろうか。
この地であって、他所ではない必然性の説明が出来るのであろうか。
紙の上だけの議論を私は嫌悪する。それは、現地を確認せずに、空論を述べるなと云う警言でもある。
かつて記した、島根匹見町の若宮神社も、岡山の石上神社もそうであるが、
古社は、古代史家達の妄想、暴言に関わりなく、地元では静かに守り続けられているのである。
この事実の前には、かかる古代史家達の議論は如何に虚しいものであるか。
無知を晒しているに過ぎないのである。

その様な地域には、その地域固有の歴史がある。
何でも大和盆地を中心に考え、持ち込む発想は、これ又嫌悪すべき事である。
記紀、或いは、特定の一書が全ての神話・歴史を綴りきっているわけではないのである。

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