伊射奈美神社
徳島県美馬郡穴吹町三島字舞中島52
(延喜式論社):伊射奈美神社 旧十二所神社

主祭神:伊射奈美命、
境内社:武甕槌命、經津主命、猿田彦命
旧「十二所神社」からの社名変更の縁起が記されている。
「風姿」 99/06/13
穴吹町にある「伊射奈美神社」である。
この地方には、伊弉冉尊を祭った神社が他にも幾つかあり、それぞれが延喜式内社としての
伊邪那美神社を主張しているようである。(これらを延喜式論社と呼ぶ)
この事は同時に、この地方で伊弉冉尊にまつわる縁起、崇敬が厚かったことを物語っている。

延喜式自体、政治色を多分に含んでいるので、本質的にはさほどこだわる必要は無いのであるが、
神社としては社格の件もあり、こだわりを持つわけである。

私見としては、中鳥の伊射奈美神社がやはり中心神社であり、延喜式内社であると判断する。
それは、鳥に化身して現れたと云う伝承がやはり重たいのである。
神が鳥に化身して降臨するという神話は、神社縁起としては原始神道に近いものであるからである。

旧社名の十二所神社というのは、この地方の幾つかの廃社を習合した事による名称であるから、
それなりの重要性をこの神社も有していることに間違いはない。

この神社では境内社の右端の石柱が興味深い。
写真では分かり難いが、五角形の石柱であり、正面から順に時計回り方向に5祭神名が彫り込まれている。
即ち、…天照皇神、大己貴命、少彦名命、埴安姫命、倉稲魂命

この様な石柱は、この地方独自のものである。
五角形に形成された造作物がこの地方には多いのであるが、その象徴するものは、この五祭神である。
即ち、太陽神を正面にし、出雲系祭神がそれを補佐している姿である。
そして、猿田彦大神は、別途に祠がもうけられているのである。
この事は、この地方が愛媛や香川と並んで出雲系の文化圏域にあったことを明らかに物語っているのである。

ちなみに、天照皇神が単純に天照大神たる大靈女と判断すべきではない。
これは、各地の神社を見ていく上での基本でもある。

神社鳥居前には小川がある。現在舞中地区は、陸続きであるが、元は中鳥同様に中洲島であった。
伊弉冉信仰は、この様な地勢下にあった信仰である。つまり、農耕を始めた水辺の民の信仰であったのである。
即ち、海洋民から農耕民への遷移過程があったことを象徴していると考えられるのである。

最終的には伊弉冉尊自身は大地神に転化して行くが、
出雲弓ヶ浜も同様に水辺の地区であり地勢的には非常に似通っているのである。

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