伊射奈美神社
徳島県美馬郡美馬町中鳥
延喜式内社:伊射奈美神社

祭神:伊射奈美尊
上記解説中、輿玉伝記にある「太田姫命」は、「太田命、倭姫命」の誤記である。
原文:「垂仁三十八年九月十六日倭姫命以太田命可建八十末社〜云々」
「風姿」 99/06/13
なかなか見つけられなかった神社である。
あれこれ尋ねて、やっと見つけることが出来たのである。
それもそのはず、この中鳥地区というのは、数年前吉野川の氾濫で大洪水に遭い、地区住民が強制移転させられ、付近に民家が一軒もないのである。

今は吉野川中洲の竹藪の中に、この神社だけが、移転新築され、ポツンと取り残されているのである。
宮司宅も、地区氏子達も県内各地に移転し、バラバラの状態に置かれているのである。
例祭は毎年10月19日であるとのことだったが、現状では次第に難しくなって来ている様子である。
これを物語るかのように、拝殿前には、各地区(中鳥・松生・毛田)氏子会代表による祭り中止要請の張り紙と、
加藤熊男宮司の祭り開催通知の板書が別個に張り付けてあった。

全国の神社の中でも、個人的には大変重要な神社と考えているこの宮が、かかる状態に置かれているのは何とも胸が痛む。
その重要性とは、色々各地方の神社を廻っていて、伊弉冉尊の生誕地はこの地区であると考えられるからである。

この神社の南方では、現在吉野川堤防工事が2年後完成を目標に行われている真っ最中である。
元社地は、まだ残っているそうであるが、今回は残念ながら見つけることが出来なかった。
この元社地は、中鳥地区の中でもやや高台にあり、吉野川洪水の際には、付近住民の避難場所であったという。

神社社地というのは、多少のことでは安易に動かすべきでは無いのである。
利便性や、観光用に社地を移転した神社が各地にあるが、その為に神社縁起が不明になってしまった例は幾つもあるのである。
少なくとも、この宮は千数百年程度は、中鳥の元社地に祭られ続けてきたのである。
その間洪水も何度かあったであろうが、厚い崇敬によって守られ続けてきていたのである。
この重みをぜひ考えてみて欲しい。

現状のままが続くなら、この神社はいずれ廃社となってしまう危険性が大きいのである。
せめて、元社地が地元の人達にまだ解るなら、今の内に、そこだけはきちんと保存して置いて頂きたい。
心から願っている。

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