《山鹿灯籠祭り》
今回のコース
山口→中津→日田→阿蘇→山鹿→日田→中津→山口

山鹿灯籠祭りに出かける。といっても、灯籠祭りは夜なので、昼間はうろうろ。

《満願寺温泉》
熊本県阿蘇郡南小国町にある。
川岸にある、露天風呂
向かいの道路からは丸見えという、とても恥ずかしい温泉。
いつでも入れる。月と星と川のせせらぎ以外何もない。
湯温は適度で、どこから湧いてくるのか解らないが、深夜のんびり浸かるにはとても良い。
近くに公衆浴場もあるので、女性はそちらへ

《河原温泉》
大分県玖珠郡久重町にある。
湯坪温泉と筋湯温泉の中間付近。
道路沿いで、気づいた。ほとんど知られていない。
個人の温泉のようだが、入り口の料金箱に200円入れて、24時間いつでも自由に使える。
お湯は出しっぱなしで、やや熱いので、入る前に湯温は自分で調節する。
無色透明、弱アルカリ単純泉だろう。やや硫黄臭がする。何も表示はない。
でもありがたい温泉である。こんな温泉が嬉しい。

《阿蘇》
又、阿蘇に来てしまった。
今回は外輪山裾野を一回り。

〔古閑の滝〕
一宮町三野にある。駐車場から30分程度歩いていく。
男滝と女滝の二本あり、男滝は落差100m、女滝は落差80m。
共に、外輪山断崖から一筋流れる滝である。絶景。
風が吹くと、滝の水は霧となり文字通り霧散する。
冬には凍りつくそうである。

〔蕎麦道場〕
久木野村の村役場の向かいにある。自分で蕎麦を打つことも出来る。
久木野村は蕎麦の産地で、ここの蕎麦は腰が強く、結構お奨め。
《山鹿灯籠祭り》 
今回の目的。
メインは千人灯籠踊り。
紙細工の灯籠を頭上に載せた女性達の踊りである。

山鹿には大宮神社という景行天皇ゆかりの神社がある。
伝承では、この地に景行天皇が立ち寄った際、菊池川が濃霧であったため、
里人が松明を掲げて天皇を迎えたとのことである。その行宮が大宮神社とのこと。

〔景行天皇奉迎式典〕
灯籠祭りに直接の関係はない様である。
景行天皇奉迎式典などが併せて行われていたが、これは、伝承からの付会式典で、
皇紀2600年に際して、太安万侶の末裔により創作されたという奉迎の舞が舞われる。
これも奇妙である。
イベントとして企画されたものであろうが結構笑える。

〔少女灯籠踊り〕
灯籠踊りは、小学4年生以上の「少女灯籠踊り」が良い。
浴衣姿に灯籠飾りを載せて、「フォーク版よへほ踊り」を舞う。約300人。
この年代で、この様な行事に参加するというのは、今時何と意義深いことか。
山鹿の女性は日本女性の鏡である。

〔千人灯籠踊り〕
会場は山鹿小学校グランド
景行天皇を迎える一団がおどろおどろしい音楽と共に入場するのを、女性達は静かに待っている。
一団の入場が終わると「フォーク版よへほ踊り」が始まる。このアンバランスが奇妙である。
踊りの種類は4種類「フォーク版よへほ踊り」「よへほ踊り」「米原長者踊り」「山鹿盆踊り」
これを数度繰り返す。
女性達1000人は、ひたすら素直に踊りを繰り返す。
いずれも静かな踊りである。歌詞が可笑しい。
「ぬしは山鹿の骨なし灯籠ヨヘホヨヘホ」「骨もなけれど肉も無しヨヘホヨヘホ」
なにやら、座敷遊興の小唄文言である。
せっかくの舞姿なのだから、もう一工夫欲しいところである。

〔山鹿太鼓〕
これは、大したものである。横笛との掛け合いなど、一見の価値がある。
紙灯籠献灯は元来金剛乗寺の法会行事にちなむものであったが、
1491年大宮神社への献灯も行われるようになり、暫時こちらが盛んになって来たものらしい。
この地の伝承はかなり錯綜としており、今少し整理する必要がありそうである。

 話は変わって、熊本平野は広大である。無論濃尾平野や関東平野に及ぶわけではないが、
この広大さでは、古代人にとっては手に余るものであっただろうと思う。
阿蘇火山弾が各所に散乱し、耕作もままならなかったのではないかと思われる。
そういえば、八女や山鹿の古墳石棺は凝結火山岩だとか。


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