98年2月1日
小郡から高速道で一気に鳥栖へ。
3号線を南下し久留米市に入り、高良大社に行く
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《高良大社》
ここは耳納山脈の西端の山中、中腹にある。
筑後一ノ宮で、主祭神は高良玉垂命
ところが、この神の縁起が解らない。
下社に高祖玉無命神社があり、ここには素戔嗚尊が脇神として祭られている。
山中には奥宮があり、ここは武内宿禰の葬所とされている。
境内社は3社あり、御子神9柱、武内宿禰、及び宿禰の部下である壱岐真根子を祭っている。
現在社史編纂中との事であるが、この神社は筑後川沿いの高良社・玉垂社・風浪社等を習合したもので、
神護石がある事から、本来は筑後平野を見渡す山城の地であったようである。
おそらく、大和王権がこの地に侵攻してきた際、各豪族の祭神が山中に神追いされ、この宮に祀られたのであろう。
常陸国風土記にある「夜刀の神」と同じ扱いをここでもしているのであろう。
武内宿禰が祭られていることから、高良玉垂命を武内宿禰とする説もあるようだが、
この説には同意できない。同じ神なら境内社に祭る必要はない。
武内宿禰を祭る境内社は印鑰(いんにゃく)社と呼ばれており、これは
印と鍵を意味しており、主祭神の高良玉垂命を封じ込めているのかもしれない。
それはさておき、ここから耳納山脈の尾根伝いに耳納スカイラインというドライブコース(約20km)が通じている。
耳納山・発心山・鷹取山を順につなぐコースで、鷹取山802mの標高まで登って行く。
途中路面に雪が残っていたが、左右の眼下に広がる景観は大変見事。
やや曇り空だったが、彦山を遠望でき、天気が良ければ阿蘇外輪山も遠望できるのではないかと思える。
太宰府・久留米・杷木の三角地帯には多くの神社があり、まだまだ古代史上は不明なことの多い地域である。
又、久留米の南方には八女を中心として古墳群が広がり、
筑後川北西の佐賀方面には有名な吉野ヶ里遺跡が発見されている。
高良大社のある、耳納山脈はこれらの地域を一望に見晴らせる、要害の地なのである。
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鷹取山から南下していくと、星野村に向かう。山麓にひたすらお茶畑が広がる。
昼夜の気温差の大きい処でおいしい茶が作られるから、この辺りは適地なのだろう。ふと京都の栂尾を思い出した。
栂尾は日本で唯一女淫を犯さなかった僧と語られる明恵上人のいた地であり、日本の茶栽培はこの明恵上人の手に始まる。
星野はこの栂尾によく似た地である。
新茶を求めて、初夏に又来なくてはならない。と言っても昨今私は玄米茶しか飲まないが。
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八女市に入り、岩戸山古墳に向かう。
筑紫の君磐井の寿墓とされる古墳である。
市街地に近づくに連れ、交通混雑。
得意の裏道探しが始まる。国道を一歩はずれると、田園地帯が広がる。
20年前の広島郊外の雰囲気である。
子供達が集まり、冬枯れした田圃の中で遊んでいる。
《岩戸山古墳》
岩戸山古墳は九州でも最大規模の前方後円墳である。
磐井は継体に対抗し、敗北した。527年から530年頃(各説あり)
三潴で惨殺されたとも伝えられるが、確認されていない。
豊前に逃れ、求菩提山中に姿を消したという伝承がある。
求菩提山の開基は、526年猛覚魔卜仙によると言う。
その名のおどろおどろしさと、時期から、魔卜仙=磐井という伝承に興味がわく。
磐井の「なめり事」が書紀に記載されており、九州王朝説の根拠の1つとなっている。
天皇という表現は7世紀以降のもので、当時は大君であったから、筑紫の君の「君」が
別王朝を指すとするのもあながち間違いではない。
磐井の子である葛子が敗戦後糟屋屯倉を割譲したと書紀は記している。
つまり、その他は譲っていないということで、独立を保ったと考えることもできるのである。
《石人山古墳》
次に石人山古墳に行く。
既に夕暮れ時。たまたま広川古墳公園の資料館を消灯しかけている館長さんに出会う。
「どちらから」と声を掛けられ、山口から来た事を伝えると、照明を点け直され、館内を案内していただいた。
筑後弁が耳に心地よい。但し早口の為3割程度は聞き取れない。
蜜柑や石材を頂いた。何とも有り難い。
更に、パンフレットを数葉。その中に、探していた「八女津姫神社」の所在が記載されていた。
地図で何度となく探していたが、見つからなかった神社である。
それもそのはず、5万分の一の地図でさえ、神窟と小さく記してあるだけである。
矢部村の日向神境ダム湖上流、中村から山中に入った処らしい。次回の楽しみが出来た。
石人山古墳はその名の通り、武装姿の石人が、石室の前に立ちはだかっている。
かつてこの石人は、身体の悪い部位と同じ所をさすると痛みが取れると信じられ、
さすられ続けたために摩耗し装飾が解らなくなっている。
今では堅固な鉄柵に囲まれ保存されている。思うに、柵などはずし、人々に親しまれた方が、
石人も喜ぶと思うのだが、昨今は心なき者が増え、平気で悪さをするから致し方ないか。
石人の守る先には家型石棺が置かれている。墓を覗く趣味はないので、合掌しさらりと見流す。
ここは岩戸山古墳より約80年程度古い古墳らしい。
どちらもちょっとした小山の様である。巨大古墳にはその背後に多くの労力がある。
それを思うと、古墳見学は余り気分の良いものではない。
《亀甲》
地図で見ると、両古墳の中間地に「亀甲」という地名があり、やや崩れているが、
正八角形に区画された地区がある。不思議な地形であり、
ここが筑紫王国の政庁跡ではないかとふと思った。
この地区内に龍ヶ原という地名もあり、龍は古来王権の象徴である。
また、亀甲紋は出雲の神紋でもある。やや北北東に偏った方位を延長すると、
北は高良山神籠石、南は女山神籠石の遺跡に連なっている。
ヤマタイ国九州説を採る私は、その所在地として、八女と豊津の二カ所を候補として絞り込んでいる。
(豊津は高天原だと最近は思っている)
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《船小屋温泉》
夕闇が迫れば温泉三昧の時間帯である。
筑後平野は何度も訪れているが、いつも夜になると、方向が解らなくなる。
全体に暗く、平坦地で、方位がつかみにくい。
近くで温泉を探すと、南方に船小屋温泉がある。
少し温泉街をうろうろして、矢部川沿い橋から下流へ二軒目の「ヘルシーパル船小屋」に入る。
ここは、健保の福祉施設でトロン温泉である。秋芳町の景清洞温泉とおなじ。
入浴料600円、食事はレストランの最終オーダー7時半に間に合わず。
エレベータで6階にあがるとそこが浴場。何とも見晴らしがよい。
日曜なのに貸し切り状態。石鹸は置いてあるので、タオルのみ持参でよい。
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そうこうする内に9時。帰らなくては。
途中ラーメン屋に立ち寄り、そのまま209号線を北上、久留米で給油。リッター81円
安い。
帰りは高速道を使う必要はない。高速料金は高すぎる。道路公団は赤字だと言うが、騙されてはいけない。
関連子会社には膨大な黒字がため込まれており、天下り先となっている。公団を隠れ蓑にしているのである。
3号線に道なりに合流。けやき台を過ぎ、冷水道路に入る。420円。
飯塚・田川・香春・行橋・曽根・門司・関門トンネルといつものコースで2号線に入り、
1時半山口着。一万円でお釣りが来る日帰り旅行。
耳納スカイラインを楽しみすぎた。
菊池まで足を延ばすつもりが果たせず。まあいつものことではあるけれど。
一昨年は大分方面をうろつき回った。
昨年はひたすら出雲に通った。
今年はどうやら、有明海沿いをしらみつぶしにしてみる事になりそうな予感がする。 |