メモa

辛酉革命説

干支で六十年に一度、辛酉の年に政治的革命が起きるという説。
儒教の「経書」を神秘主義的に解釈予言する「緯書」に記されたが、隋の煬帝により世を惑わすものとして禁書とされた。
その逸文を、三善清行が取りあげ、改元理由として提言した。(この時延喜に改元され、その後も改元理由として引き継がれた)

明治になり、神武天皇即位紀元を定めるに際し、延宝5年(1677)渋川春海により編纂された日本長暦を元に、
日本書紀に神武即位が「辛酉年春正月庚辰朔」とある事を参考に、一元(60年)の21倍にあたる一(ホウ)(1260年)の辛酉の年には国家的大革命が起きるとする説が唱えられ、これを理由に辛酉年にあたる推古天皇9年(601)を起点として1260年前(B.C.660)が神武即位元年にあたるという主張が採用され、皇紀元年が定められた。
則ち、文部省天文局の計算ではB.C.660年(辛酉年)の正月庚辰にあたるのが、2月11日だったので、この日を明治政府が紀元節と定めた。明治6年(1873)
この紀元節は昭和23年(1948)に廃止されたが、昭和42年(1967)に「建国記念の日」として国民の祝日となった。


先ず以て、緯書による辛酉年の革命説が何の根拠もない妄想。
次いで、1260年毎の大革命説が、これも何の根拠もない妄想。
更に、神武即位の辛酉年をその起点に推古9年を基準にすることは何の根拠もない捏造。
幕末明治で辛酉年にあたるのが万延2年(1861)で、その1260年前として推古9年を起点として選んだだけ。共に国家的大革命無し。
こんな説は愚劣すぎて論じるに値しない。が、信じる輩が居るので記しておく。
ちなみに、直近の辛酉年は昭和56年(1981)である。


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Last-modified: 2016-02-26 (金) 22:00:40 (2975d)