メモa

国分寺

(続日本紀第14 宮内庁所蔵)

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天平13年(741)2月14日、聖武天皇は国分寺造立発願の詔勅をあらわした。

『続日本紀』天平十三年二月乙巳の条

  • 乙巳、詔曰、
    朕以薄徳、忝承重任。
    未弘政化、寤寐多慚。
    古之明主、皆能先業、國泰人楽、災除福至。
    修何政化、能臻此道。頃者、年穀不豊、疫癘頻至。
    慙懼交集、唯労罪己。是以、広為蒼生、遍求景福。
    故前年、馳駅増飾天下神宮。
    去歳、普令天下造釈迦牟尼佛尊像、高一丈六尺者、各一鋪、并写大般若経各一部。
    自今春巳來、至于秋稼、風雨順序、五穀豊穣。
    此乃、徴誠啓願、霊貺如答。載惶載懼、無以自寧。
    案経云。若有国土講宣読誦、恭敬供養、流通此経王者、我等四王、常來擁護、
    一切災障、皆使消殄、憂愁疾疫、亦令除差。
    所願遂心、恒生歓喜者、宜令天下諸国各令敬造七重塔一區、并写金光明最勝王経、妙法蓮華経綬十部。
    朕、又別擬、写金字金光明最勝王経、毎塔各令置一部。
    所冀、聖法之盛、与天地而永流、擁護之恩、被幽明而恒満。
    其造塔之寺、兼為國華。必択好処、実可長久。
    近人則不欲薫臰所及。遠人則不欲労衆帰集。
    國司等、各宜務存厳飾、兼盡潔清。
    近感諸天、庶幾臨護。布告遐迩、令知朕意。
    又毎国僧寺、施封五十戸、水田十町。
    尼寺水田十町。僧寺必令有廿僧。
    其寺名、為金光明四天王護国之寺。
    尼寺一十尼。其名為法華滅罪之寺。両寺相去、宜受教戒。
    若有闕者、即須補満。
    其僧尼、毎月八日、必応転読最勝王経。毎至月半、誦戒羯磨。
    毎月六斎日、公私不得漁猟殺生。国司等宜恒加検校。
  • 乙巳、詔して曰く
    朕薄徳を以て忝くも重任を承けたり。
    未だ政化を弘めず、寤寐多く慚ず。
    古の明主は、皆先業を能くして、国泰らかに人楽しみ、災除き福至る。
    何の政化を修めて、能く此の道を臻さむ。頃者、年穀豊かならず、疫癘頻りに至る。
    慙懼交集まりて、唯労して己を罪す。是を以って、広く蒼生の為に、遍く景福を求む。
    故に前年、駅を馳せて天下の神宮を増飾す。
    去歳、普く天下をして釈迦牟尼仏の尊像、高さ一丈六尺なる者、各一鋪を造り、并に大般若経各一部を写さしむ。
    今春より已来、秋稼に至り、風雨序に順うて、五穀豊かに穣る。
    此れ乃ち、徴誠を微し願を啓くこと、霊貺答うるが如し。載ち惶れ載ち懼れて、以って自ら寧ずる無し。
    経を案ずるに云う。若し国土有りて、此の経を講宣読誦、恭敬供養し流通せば、我等四王、常に来って擁護し、
    一切の災障を皆消(テン)せしめ、憂愁疾疫も亦除き差さしめん。
    所願心に(シタ)がいて、恒に歓喜を生ぜんといえり。宜しく天下諸国をして各七重塔一区を敬造し、并に金光明最勝王経、妙法蓮華経各十部を写さしむべし。
    朕又別に金字金光明最勝王経を写し、塔毎に各一部を置かしめんと(ホッ)す。
    (コイネガウ)所は、聖法の盛なること、天地と与に永く(ツタ)へ、擁護の恩、幽明に被りて恒に満むことを。
    其れ造塔の寺は兼ねて国の華なり。必ず好処を択んで、実に長久なるべし。
    人に近ければ、則ち薫臭の及ぶ所を欲せず。人に遠ければ、則ち衆の帰集を労するを欲せず。
    国司等、各宜しく務めて厳飾を存し兼ねて潔清を尽くすべし。
    近くは諸天を感じて庶幾くは臨護せしめんことを。遐邇に布告して、朕が意を知らしめよ。
    又国毎に、僧寺には封五十戸水田一十町を、尼寺には水田十町を施す。
    僧寺は必ず廿僧あり。其の寺の名を、金光明四天王護国之寺と為さしめ。
    尼寺は一十尼あり。其の寺の名を法華滅罪之寺と為す。
    両寺相共に、教戒を受くべし。
    若し闕あらば、即ち須らく補い満すべし。
    其れ僧尼は、毎月八日に必ず応さに最勝王経を転読し、月半に至る毎に戒羯磨を誦せよ。
    毎月六斎日には、公私とも漁猟殺生することを得ず。国司等宜しく恒に検校を加うべし。

有りそうで無いようなので、全文掲載。
この詔によれば、七重の塔を造り、金字金光明最勝王経を塔に置いたとある。
七重の塔は残念ながらどこにも残っていない。
奈良東大寺で七重の塔再建の話はもちあがっているらしいが・・・・・。


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Last-modified: 2014-07-07 (月) 15:45:47 (3573d)