メモa

会津戦争

会津戦争に関して、次のような頁があった。

なぜ遺体は埋葬されなかったのか


この件、随分前から気になっていたのではある。
「死体埋葬禁止命令」等というものがあったのかどうか?
あったとすれば誰が出したのか?
どこにも根拠がない。
にもかかわらず、会津は長州をこれを主な理由に嫌忌していると聞く。

官軍側で総指揮を執ったのは大村益次郎だが、益次郎がその様な命令を出すはずがない。
益次郎は元来、武家ではなく医家であり、死体を埋葬させないなどという事はありえない。
そういう命令を誰かが出したことを知れば、火吹き達磨のこと、激怒し即座に処分したであろう。
又、京都での新撰組などとの軋轢にも無関係であった。
会津に恨みなど持つはずもないのである。
大鳥圭介や榎本武揚など、元幕軍であっても、才を惜しんで明治政府側に招いたのが益次郎という人物である。

上記文では、益次郎には触れていないが、益次郎は直接戦闘に当たっていないので無理からぬ事。

結局、デマ・捏造でしかない。
この先尚、上記令があったと妄信するするようであれば、
会津者はどこまでも頑迷とみなされるだけであろう。

会津戦争の経緯。
女子供まで戦闘に参加させ、いたずらに戦闘を長引かせ犠牲者を増やしたのは、
なにやら後に一億玉砕とか、神風特攻とか、
そういう一見勇敢そうで実は何とも陰惨で愚昧な指揮精神に近いものを感じる。


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Last-modified: 2015-07-20 (月) 07:00:12 (3196d)