神名解題a

「大山祇神」
(オオヤマツミノカミ)
書紀で最初に出てくるのは本文ではなく一書で、伊弉諾尊が軻遇突智を斬った時に生まれたとされる。
古事記では「大山津見神」国生みの後の神生みで山の神として伊耶那岐神(伊邪那岐神)・伊耶那美神(伊弉那美神)が生んだ神。
野の神「鹿屋野比賣神」(野椎神)と共に、「天之狭土神」「國之狭土神」「天之狭霧神」「國之狭霧神」「天之闇戸神」「國之闇戸神」「大戸惑子神」「大戸惑女神」を生んでいる。

古事記で須佐之男命が出雲に降った際、足名椎は大山津見神の子と名乗っており、又須佐之男命は大山津見神の娘「神大市比賣」を娶って「大年神」・「宇迦之御魂」を生んでいる。
又須佐之男命が「櫛名田比賣」を娶って生んだ子「八島士奴美神」が大山津見神の娘「此花知流比賣」を娶って「布波能母遲久奴須奴神」を生んでいる。

瓊瓊杵尊が娶った神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)(古事記では神阿多都比賣)の父として名が上げられる。
大山祇神を奉る神社で最も古いのが、鹿児島県南さつま市金峰町新山676の「大山祇神社」と思われ、ここでは「大山祇命」として祀られている。
鹿児島県神社庁の案内
googlemap

大山祇神自身の事跡は殆ど知られないが、多くの女神をその子に持って居ることが特徴的であり、国津神の祖神(オヤガミ)としての性格を持っていると云える。この為全国に大山祇神を祭る神社は非常に多い。

ちなみに[祇]は安らかにするという語義で、一文字で(くにつかみ)と読む場合もある。
国を安らかにするという意味で「大山祇」と記されるのであろう。
「大山津見」と記す場合は海洋神の性格を多く持ち、「大山積」と記す場合には山の神の性格を多く持つと言えるかも知れない。


トップ   編集 凍結解除 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2016-02-03 (水) 15:26:49 (2998d)