文献
『古事記』

『古事記』序

(真福寺本p003)

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古事記上巻序幷
臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無爲誰知其形然
乾坤初分參神作造化之首陰陽斯開二靈爲群品之祖
所以出入幽顯日月彰於洗目浮沈海水神祇呈於滌身故太
素杳冥因本教而識孕土産嶋之時元始綿邈頼先聖
而察生神立人之世寔知懸鏡吐珠而百王相續喫劒切蛇
以万神蕃息與議安河而平天下論小濱而淸国土是以番
仁岐命初降于高千嶺神倭天皇經歷于秋津嶋化熊出
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古事記 上巻 序幷

古事記(フルコトフミ) 上巻(カミツマキ) 序幷(ジョアワセ)たり

  • 卜部系諸本では「古事記 上巻 幷序」

臣安萬侶言 夫 混元既凝 氣象未效 無名無爲 誰知其形

臣安萬侶(マヲ)す。それ、混元(マロカレ)既に()りて、気象(キザシ)未だあらわれず。名も無く(シワザ)も無ければ、誰か其の(カタ)を知らむ。

  • 「爲」を岩波文庫(以下i文庫)では(わざ)と読んでいる。「無為」は(動きがない}の意味。
    • 「效」は「敷」に見えるのだが・・・・「気象未敷」であれば(気象未だひろがらず)か?
      「敦」と見るものもある。「效」としたのは宣長の「古訓古事記」に依るらしい。
      →参考:早稲田大学図書館蔵「古訓古事記」/該当頁書影
      「效」の採用は観智院本名義抄に「効は效の俗字」とあり、アラハスの訓がある事によるらしい。
      「玄奘表啓平安初期点」では「未遠」(イマダトオクアラズ)とあるらしいが未見。
      (安万呂の上表文にこだわっていても仕方ないので、この件一時中座)

然 乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖

然あれども、乾坤(アメツチ)初めて分かれて、参神(ミハシラノカミ)造化の(ハジメ)となれり。陰陽(メヲ)ここに開けて、二霊(フタハシラノカミ)郡品(モロモロ)(オヤ)となれり。

  • 「乾坤」をi文庫では(けんこん)とそのまま読んでいる。

所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌身

所以(ソエ)に、幽顕(ヨミジウツセミ)出入(イデイリ)て、日月(ヒノカミツキノカミ)目を洗うに(アラワ)れ、海水(ウシオ)に浮き沈みて、神祇(アマツカミクニツカミ)身をすすぐに(アラ)われたり。

故 太素杳冥 因本教而識孕土産嶋之時 元始綿邈 頼先聖而察生神立人之世

(カレ)太素(モト)杳冥(クラ)けれども、 本教(モトツオシヘ)によりて土を孕み島を生みし時を識り、元始(ハジメ)綿邈(トホ)けれども、先聖(サキツヒジリ)によりて神を生み人を立てし世を()れり。

  • 「太素杳冥」i文庫では、(タイソはヨウメイなれども)
  • 「本教」は日本古来の伝承の意。
  • 「綿邈」:観智院本名義抄により、「綿」も「邈」も訓読みで(とほし)である事から「綿邈」で(とほし)と訓んでいる。
    i文庫では(めんばく)としている。

寔知 懸鏡吐珠 而百王相續 喫劒切蛇 以万神蕃息與 議安河而平天下 論小濱而淸国土

(マコト)に知りぬ、鏡を懸け、珠を吐きて、百王(モモノキミ)()ぎ、(ツルギ)()み、(オロチ)を切りて、万神(ヨロズノカミ)蕃息(ウマワ)りたまい、安河(ヤスノカハ)(ハカ)りて、天下(アメノシタ)を平らげ、 小浜に(アゲツラ)ひて、国土(クニ)を清めたまいしことを。

  • 「蕃息」:岩崎本皇極記訓にある「不蕃息」(ウマハラス)より援用。i文庫では(ばんそくせしことを)
  • 「議安河而平天下」:岩波文庫では(安の河に議りて、天下を(コト)むけ)
    「淸国土」を(国を清めき)
  • 岩波文庫は「寔知~国土」を上記のような1文ではなく、與/議の部分で2文に分け解釈している。
    2文に分けると「知」の範囲が「議安河~」には掛からないことになり問題。。

是以 番仁岐命 初降于高千嶺 神倭天皇 經歷于秋津嶋

(ココ)をもちて、番仁岐命(ホノニニギノミコト) 初めて高千嶺(タカチホノタケ)に降り、神倭天皇(カムヤマトノスメラミコト)秋津嶋(アキヅシマ)経歴()たまいき。

  • 「番仁岐命」本文にこの表記はない。「天迩岐志国迩岐志天津日高日子番能迩迩藝命」
 

(真福寺本p004)

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川天劒獲於高倉生尾遮徑大烏導於吉野列儛攘賊聞
歌伏仇卽覺夢而敬神祇所以稱賢后望烟而撫黎元於
今傳聖帝定境開邦制于近淡海正姓撰氏勒于遠飛鳥
雖步驟各異文質不同莫不稽古以繩風猷於既頽照
今以補典教於欲絶曁飛鳥淸原大宮御大八洲
天皇御世濳龍體元洊雷應期聞夢歌而相纂業投夜
水而知承
 
然天時未臻蝉蛻於南山人事共給虎步於東國
皇輿忽駕淩渡山川六師雷震三軍電逝杖矛擧威猛士
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烟起絳旗耀兵凶徒瓦解未移浹辰氣旀自淸乃放牛
息馬愷悌歸於華夏卷旌戢戈儛詠停於都邑歳次
梁月踵俠鍾淸原大宮昇卽天位道軼軒后德跨周王
握乾符而摠六合得天統而包八荒乘二氣之正齊五行之
序設神理以奬俗敷英風以弘國重加智海浩汗潭探上
古心鏡煒煌明覩先代於是天皇詔之朕聞諸家之所賷
帝紀及本辭既違正實多加虛僞當今之時不改其失未
經幾年其旨欲滅斯乃邦家之經緯王化之鴻基焉故
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化熊出川 天劒獲於高倉 生尾遮徑 大烏導於吉野

熊に()れるもの川に出て、天剣(アメノツルギ)高倉(タカクラジ)に獲たまいき。尾生(オオウルヒト)(ミチ)()へて、大烏(ヤタカラス)吉野に導きまつりき。

  • 化熊出川:本文に熊の話しは出てくるが川の記載はない。
    i文庫では(化熊(クワイウ)川を出でて)とし、訳せば「ばけ熊が川から出てきて」となるが、「川から出てきた」のと「川に出てきたの」では意味が異なる。
    • 化熊出川…川ではなくむしろ爪に見える。化熊出爪であれば、爪を出した熊があらわれた。
  • 尾生:本文では「尾ある」は井氷鹿・石押分の子の他に土雲八十建が記されている。解釈としては前2者。
    i文庫では(生尾(セイビ)径を遮りて)その注に「尾のある人々が路にあふれて歓迎し」とかなり誇張。
    • ちなみに本文に出てくる「八咫烏」は「大きな烏」のことであり、「三足烏」の事ではない。
      咫=親指と人指し指を拡げた長さ。約18cm/八咫=18×8=144cm
      それ故、序で「大烏」とあるのを本文を勘案し(ヤタカラス)と読むわけである。
      三足烏(=三本足の烏)は中国の伝説であり、記紀には全く出てこない。当然に八咫烏とは無関係。
      この意味で熊野本宮大社の神紋に三足烏を用いて八咫烏と称しているのは、後の時代の付会、創作でしかない。
      更には日本サッカー協会がこれをマークに採用したのは・・・である。

列儛攘賊 聞歌伏仇 卽 覺夢而敬神祇 所以稱賢后

舞を列ねて(アタ)(ハラ)い、歌を聞きて(アタ)を伏せたまいき。即ち夢に(サト)りて神祇(アマツカミクニツカミ)を敬ひたまひき。所以(ソエニ)(カシコ)(キミ)(タタ)えまつりき。

  • 攘賊…i文庫では(ニシモノをハラひ)/伏仇(アタをシタガはしめき)
  • 所以稱賢后…同じくi文庫では(このゆゑに、ケンコウとマヲす)
    • 「后」は原義「帝王」、ここは崇神の事蹟とされる。が、本文に「后」の表記はなく疑問。むしろ「后」の原義など持ち出して解釈するのでなく、安万呂が崇神と神功を混雑して記したと見る方が妥当の観。

望烟而撫黎元 於今傳聖帝

(ケブリ)()黎元(オオミタカラ)()でたまいき。今に聖帝(ヒジリノミカド)と伝えたり。

  • 黎元…i文庫では(れいげん)とそのままに読んでいる。
  • 仁徳記

定境開邦 制于近淡海 正姓撰氏 勒于遠飛鳥

境を定め(クニ)を開きて、近淡海(チカツオウミ)(シラ)したまいき。(カバネ)を正し(ウジ)(エラ)びて、遠飛鳥(トオツアスカ)(シラ)したまいき。

  • 前文は成務記の国造・県主制定のこと。近淡海は高穴穂宮。
  • 後文は允恭記。遠飛鳥は遠飛鳥宮。

雖步驟各異 文質不同 莫不稽古以繩風猷於既頽 照今以補典教於欲絶

步驟(アユミウグツキ)(オノモオノモ)(コト)に、文質(カザリマコト)同じくあらねども、(イニシエ)(カムガ)へて風猷(オシヘ)を既に(クズ)れたるに(タダ)し、今を照らして、典教(ノリ)を絶えむと()るに(オキヌ)はずということなし。

  • 步驟…「歩」は常歩(ナミアシ)、「驟」は速足(ハヤアシ)、漸進と急進。i文庫では(ほしう)
  • 文質…文化尊重の政治と質朴率直の政治
  • 風猷…風俗の教化。i文庫では(ふういう)
  • 典教…古来の変わらぬ教え、道徳。i文庫では(てんけう)
  • i文庫での解釈文(御代御代において政治に緩急の差があり、文彩と質朴の違いはあるが、古の事を考えてそれを今のありさまに照らしてみて、風教道徳の頽れたのを正し、五倫五常が絶えようとするのを補わないということはなかった)
    • なんだか解り難い文だが「各天皇の時代に行われる政治は同じということはないが、歴史に学んで行動する(稽古照今)という点では変わることはない」というような意味で、それ故史書が必要だと暗に弁じている。

曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世 濳龍體元 洊雷應期 

飛鳥淸原大宮(アスカノキヨミハラノオオミヤ)大八洲(オオヤシマクニ)(シラシメ)しし天皇(スメラミコト)の御世に(オヨ)びて、(カク)りたる(タツ)元を()り、(シキリ)なる(イカヅチ)(トキ)(カナ)いぬ。

  • ここからいきなり壬申の乱(672年7月)、大海人皇子の事跡についての記述に飛ぶ。
    ちなみに古事記は推古期までの記述しかないので壬申の乱についての記述はない。
    日本書紀は持統期迄で、壬申の乱に関する記述がある。太安万侶の父品治(ホムチ)は壬申の乱で大海人方についていた。
    古事記成立712年、日本書紀成立720年とされるが、このあたりの記述は日本書紀記載内容を踏まえていなければ記せない事である。
  • 飛鳥淸原大宮御大八洲天皇…天武天皇
    • 曁を思想体系・i文庫共に(いたりて)と読んでいる。
  • 潜龍…易で乾の卦
  • 元…最善の徳
  • 洊雷…易で震の卦
    • 潜龍・洊雷は共に「天子となるべき人」を暗示し、大海人皇子(天武)を指している。
      「最善の徳を持っている人が龍として潜んでいたが、時を得て雷のごとく力を発揮した。」というような意味。

聞夢歌而相纂業 投夜水而知承基 

夢の歌を聞きて(ワザ)()がむことを(オモ)ひ、夜の(カワ)(イタ)りて(モトイ)()けむことを知りたまいき。

  • 夢歌…書紀天智記末の童謡三首「美曳之~」他。天智崩御後の皇位継承をめぐる争いを示唆しているとされる。
  • 夜水…横河(名張川)。大海人東国脱出の際横川で行った占いを指す
    • 「夢の歌を聞き皇位を嗣ぐことを想い、名張川での占いにより皇位を嗣ぐことが出きることを知った」と云うような意味。

然 天時未臻 蝉蛻於南山 人事共給 虎步於東國 

(シカ)あれども(アメ)の時 未だ(イタ)らずして、南の山に蝉のごと(モヌ)けたまひ、人事(ヒトノワザ)共給(ソナワ)りて、東国(アヅマノクニ)に虎のごと歩みたまいき。

  • 南山…倭京の南方の山、吉野山を指す
  • i文庫では、「南山に蝉蛻(せんぜい)し、~東国に虎歩(こほ)したまひき」
    • 「しかしながら、天の時を得ていなかったので、蝉の抜け殻のように吉野山を目指して抜け出し、体制を整えて、東国に虎のように足音も立てず密かに移って行った」と云うような意味

皇輿忽駕 淩渡山川 六師雷震 三軍電逝 

皇輿(スメラミコト)忽ちに(イデ)まし、山川を()え渡りき。六師(スメラミクサ)(イカヅチ)のごと()り、三軍(オホミクサ)(イナヅマ)のごと()きき。

  • ここは形式文で、文字通りの意味にはならない。直読すればi文庫のようになるが、文意が通じないので意読を選ぶ。
  • 皇輿(こうよ)…天皇の乗る御輿。
    • 「駕」は車駕を指すが形式的に対応させているだけである。
      ここに云う「皇」は大海人皇子を指し、書紀壬申紀六月甲申条で、吉野宮を発った時は徒歩であった。
    • 六師・三軍…これも形式的表現で、六師は大海人皇子の軍、三軍は高市皇子の軍と理解されている。
      六・三は表現上の対で宣長が指摘しているように数値上の意味はない。

杖矛擧威 猛士烟起 絳旗耀兵 凶徒瓦解 

矛を杖つき(イキオイ)(フル)ひて、猛士(タケオ)(ケブリ)のごと起こりき。 絳旗(アケノハタ)(ツワモノ)耀(カガヤカ)して、凶徒(アタ)瓦のごと解けつ。

  • 絳旗…赤旗。大海人皇子方の旗印

未移浹辰 氣旀自淸

浹辰(イクバクカノトキ)を移さずして、氣はいよいよ自ずから淸らかなり。

  • 浹辰(しょうしん)…「浹」は一巡り、「辰」は日。12日間。壬申の乱は約1ヶ月なので、「浹辰」は(幾ばくかの日数)を意味する。
  • 氣旀自清…[旀]は[弥]であろう。「弥」には(いよいよ、ますます)の意味があり、「氣弥自清」は(気はいよいよ自ずから清らか)の意味となる。
    i文庫では→「氣旀」を「氣沴」(きしん)とし、「わざわい」と解し読んでいる。
    …本来は「氛沴」。氛も沴も共に妖気・臭気。総じて、毒気・災い
    ちなみに「沴」としているのは宣長古訓古事記に依るものであろう。該当書影
    「沴」は本来[水+黎]でレイ・ライ、「水が澱む」の意

乃 放牛息馬 愷悌歸於華夏 卷旌戢戈 儛詠停於都邑

(スナワ)ち、牛を放ち馬を(イコ)へて、 愷悌(ヤス)華夏(ミヤコ)に帰りたまい、(ハタ)を巻き (ホコ)(ヲサ)めて、儛詠(マヒウタ)いて都邑(ミヤコ)(トドマ)りたまいき。

  • 思想体系では二文に分けているが、乃の掛かりを考慮しi文庫のように一文に解す。
  • 放牛息馬…周の武王の故事による。「帰馬放牛」(書経)
  • 華夏…中原、ここでは大和を指す。
    • この辺りも含めて、中国の故事を多用する事から剽窃文と揶揄されるのも致し方ないことである。「華夏(古代中国の夏王朝・その都)」とか用いる感覚は理解しかねる。
  • 都邑…飛鳥を指す。

歳次梁 月踵俠鍾 淸原大宮 昇卽天位 

(ホシ)梁に(ヤド)り、月侠鍾(キサラギ)(アタ)りて、清原大宮にして 昇りて天位(アマツクライ)()きたまいき。

  • 歳次梁…i文庫では「歳次大梁」
  • 歳…歳星、木星のこと。木星が大梁に位置するのは酉年。乱の翌年。673年
  • 俠鍾…十二律の一(夾鍾)。月では2月。

道軼軒后 德跨周王 

道は軒后(ケニノキミ)(スギ)たまひ、徳は周王(シュウノキミ)(アフヅク)みたまいき。

  • 軒后…黄帝、軒轅。后は帝

握乾符而摠六合 得天統而包八荒

乾符(アマツシルシ)()りて六合(アメノシタ)()べたまい、天統(アマツスジ)を得て八荒(ヤモノキワマリ)()ねたまいき。

  • 乾符…帝の(シルシ)。次の持統即位に際しては「神爾(カミノシルシ)の剣・鏡」とあるが、天武の場合は不明。
    神祇令「忌部上神爾之鏡剣」
    • 岩波思想体系注では{持統紀4年7月条)としてこの例が挙げられているが、持統紀4年正月(書紀)の誤り。
    • ここに云う「乾符」がいわゆる三種の神器(鏡・勾玉・剣)であったかどうかは天武・持統共に明かではない。
      「三種の神器」と訳している場合、そういう訳は信用できない。
  • 六合…四方と上下、即ち天下。
  • 八荒…八方の僻遠の地。

乘二氣之正 齊五行之序

二気(フタハコビ)の正しきに乗り、五行(イツメグリ)(ツギテ)(トトノ)へたまいき。

  • 二気…陰陽の二気。
  • 序…i文庫では(ついで)
    • i文庫では次の行と合わせて一文としている。

設神理以奬俗 敷英風以弘國

(アヤ)しき(コトワリ)(モウ)けて(ナラワシ)を奨め、(スグ)れたる(オシエ)を敷きて国に(ヒロ)めたまいき。

  • i文庫では「国を弘めたまひき」と読んでいるが、「国を弘め」は疑問。

重加 智海浩汗 潭探上古

重加(シカノミニアラ)ず、智海(サトリノウミ)浩汗(オギロ)にして、(フカ)上古(カミツミヨ)(アナグ)りたまいき。

  • 浩汗…音で(こうかん)、訓で(おぎろ)。意味は「広大・深遠である様子」
    • i文庫ではここも次の行と合わせて一文としている。

心鏡煒煌 明覩先代 

心鏡(ココロノカガミ)煒煌(アカラ)にして、(アキラ)けく先代(サキツヨ)を観たまいき。

  • 煒煌(いこう)…[煒]は並はずれた火、[煌]はきらめく輝き。[煒煌]で光り輝く様子を表す。訓で(あから)。

於是天皇詔之 朕聞 諸家之所賷帝紀及本辭 既違正實 多加虛僞 

是に天皇(スメラミコト)()りたまいしく、(アレ)聞く、諸家(モロイエ)所賷()てる帝紀(スメロキノヒツギ)本辞(サキツヨノコトバ)、既に正実(マコト)(タガ)い、多く虚偽(イツワリ)を加へたり。

  • ここから、古事記編纂の由来となるが、他の文献との絡みで議論の多いところでもある。
  • 天皇詔…書紀天武紀10年3月丙戌(17日)
  • 帝紀…帝皇日継
  • 本辞…先代旧辞

當今之時不改其失 未經幾年其旨欲滅 

今の時に当たりて、其の(アヤマリ)を改めずは、幾年(イクトセ)も経ずして其の旨滅びなむとす。

斯乃 邦家之經緯 王化之鴻基焉 

斯乃(コレスナワ)ち、邦家(ミカド)経緯(タテヌキ)王化(オモブケ)鴻基(オホキモトイ)なり。

  • 経緯…縦糸と横糸。即ちここでは国家の骨格
  • 鴻…天皇の事蹟に冠する美称
 

(真福寺本p005)

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惟撰錄帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舍
人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心卽
勅語阿禮令誦習帝皇日継及先代舊辭然運移世異未行其事矣
伏惟
皇帝陛下得一光宅通三亭育御紫宸而德被馬蹄
之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非
烟連柯幷穂之瑞史不絶書列烽重譯之貢府無空月
可謂名高文命德冠天乙矣於焉惜舊辭之誤忤正先紀
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之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰錄稗田阿禮所誦之
勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨子細採摭然上古之時言意並
朴敷文構句於字卽難已因訓述者詞不逮心全以音連者事
趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之內全以訓錄卽
辭理叵見以注明意況易解更非注亦於姓日下謂玖沙訶於名
帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢
始以訖于小治田御世故天御中主神以下日子波限建鵜草葺
不合尊以前爲上卷神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲
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故惟 撰錄帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉

(カレ)(オモイ)みれば帝紀(スメロキノヒツギ)を撰び(シル)し、旧辞(フルコト)(タズ)(キワ)め、(イツワリ)を削り(マコト)を定めて後葉(ノチノヨ)(ツタ)へむと(オモ)ふとのりたまいき。

時有舍人 姓稗田 名阿禮 年是廿八

時に舍人(トネリ)有り、(ウジ)は稗田 名は阿礼(アレ)、年は廿八(ハタチアマリヤツ)

  • 舎人…近従、下級見習い官人。男子。
  • 姓…この場合カバネではなくウジ。
    • カバネは大王から特別に与えられ、大王との関係を示す称号。通常「姓」はカバネと読まれるがここでの姓の表示にはそういう意味がないのでウジ(氏)と考えられている。漢字の姓と氏には元々日本のような区別が無い。
  • 稗田…地名として奈良県大和郡山市稗田町があるが、阿礼自身がそこに縁があるかどうかは不明。稗田氏は猿女君の一族として知られる。
    • 同地の売太神社では主祭神を稗田阿礼としているが、長く祭神不明であった神社で疑問が多い。
      延喜式では賣太(ヒメタノ)神社と記されているが、祭神名は無い。ヒメタと読むので「比」が欠落したのであろうと思われる。猿女田からの変化という説は疑問。
      又、ヒメタノ神社との関連から、阿礼の女性説もあるが、この神社と阿礼との関係自体が不明なので女性説も疑問。
      又「阿礼」は巫女の事であるとする女性説もあるが、阿礼男という表現もあり、女性とは限らない。
      舎人(男子の職)と記してあるのに女性説をあえて採る理由は無い。
  • 廿八…記すまでもないと思うが、ここでの年齢は数え年。

爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心

為人(ヒトトナリ)聡明()くて、目に渡り口に()み、耳に()るれば心に(シル)す。

  • 度目誦口…見ればすぐに音読し
  • 拂耳勒心…聞けばもはや忘れない

卽 勅語阿禮 令誦習帝皇日継及先代舊辭

即ち、阿礼に勅語(ミコトノリ)して、帝皇日継(スメロギノヒツギ)先代旧辞(サキツヨノフルコト)誦習(ヨミナラ)はしめたまいき。

然 運移世異 未行其事矣

(シカ)あれども、運移(トキウツ)世異(ヨカワ)りて、未だ其の事を行ないたまわずき。

  • ここでの其事というのは、「削僞定實 欲流後葉」の事と思われる。

伏惟 皇帝陛下 得一光宅 通三亭育

伏して皇帝陛下(スメラミコト)(オモイ)みれば、一つを得て光宅(ミチオ)り、三つに(ワタ)りて亭育(ヤシナ)いたまう。

  • 皇帝陛下…ここでは元明天皇をさす。天皇のことを「皇帝陛下」と記すのは希。
    皇帝陛下で改行しているのは養老令の公式令37の規定による。平出条…平頭抄出規定(文中で用いる場合、敬意を表す意味で改行し行頭に置く)
  • 得一…天皇の地位を得て
  • 光宅…徳が天下に満ち
  • 通三…天地人の三才(万物)に通じて
  • 亭育…人民を養う

御紫宸而德被馬蹄之所極 坐玄扈而化照船頭之所逮

紫宸(ムラサキノトノ)(シラシメ)して(ウツクシビ)馬蹄(ウマノツメ)所極(キワミ)(オオイ)いたまい、玄扈(クロキアラカ)(イマ)して(オモブケ)船頭(フナノヘ)所逮(イタリ)を照らしたまう。

  • 紫宸…紫は天帝の居る紫微(紫微垣(シビエン)の略。北極星を中心とした15星のある位置)、「紫宸」で天子の居所を意味する。i文庫では(ししん)
  • 馬蹄之所極…陸路の果て迄
  • 玄扈…黄帝が居た洛水畔の石室。天子の座す処を意味する。i文庫では(げんこ)
    • 玄扈山を源とする玄扈水が黄河の支流である洛水に出会う場所から少し玄扈水を遡った河畔に黄帝が居した石室があると云い、この石室を玄扈と呼んだ。玄扈山・玄扈水はこの玄扈からつけられた名と思われる。
  • 船頭之所逮…海路の果て迄
    • 思想体系では2文に分けているが、対であるので一文に解す。ここでの比喩(馬蹄・船頭云々)は祝詞からの転用。

日浮重暉 雲散非烟

日浮かびて(ヒカリ)を重ね、雲散りて(ケブリ)に非ず。

  • 「日」は帝位、「暉を重ね」は帝位を重ね。思想体系では「日」を先帝と解している。
  • 雲散非烟…薄雲がたなびいている様子で、天の瑞祥。治部式では慶雲を大瑞とする。

連柯幷穂之瑞 史不絶書

(エダ)を連ね穂を(アワ)(シルシ)(フミヒト)(シル)すことを絶たず。

  • 連柯幷穂之瑞…柯は枝。「連柯幷穂」で枝が連なり稲穂が豊かに実る、即ち草木が豊かという意味で、地の瑞祥。治部式では連理・嘉禾を下瑞とする。
    (ここで連理は連理木の事。木の枝が癒着結合したもので、その和合の姿を吉兆とする。又、嘉禾の禾は稲)
  • 史は朝廷の書記。
    • 「瑞祥を書記官が絶えず記述している」という意味の文で、前文と併せて天皇の善政を称えている。

列烽重譯之貢 府無空月

(トブヒ)(ツラ)ね、(オサ)を重ぬる(ミツキ)(ミクラ)(ムナシ)き月無し。

  • 烽…白村江敗戦後40里(約21km)ごとに置いた狼煙を上げる砦。
  • 訳…通訳
  • 列烽重譯之貢…遠方からの連絡が続き通訳を重ねて貢ぎ物を持ってやって来る。というような意味で、遠方からの朝貢を表す。
  • 府…倉庫
  • 府無空月…倉庫が空になるような月はない。

可謂名高文命 德冠天乙矣

名は文命(ブンメイ)より高く、(ウツクシビ)天乙(テンイツ)(マサ)れりと謂いつ()し。

  • 文命…夏王朝の初代、禹王の名
  • 天乙…殷王朝の初代、湯王の名

於焉 惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶
撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭

(ココ)に、旧辞(フルコト)誤忤(アヤマリタガ)えるを惜しみ、先紀(サキツヒツギ)謬錯(アヤマリマジワ)れるを正さむとして、和銅の四年(ヨトセ)九月(ナガツキ)十八日(トウカアマリヨウカ)(ヤッコ)安萬侶に(ミコトノリ)して、
稗田阿礼が所誦(ヨメ)勅語(ミコトノリ)旧辞(フルコト)を撰び(シル)して献上(タテマツ)らしむといへれば、謹みて詔旨の(マニマ)に、子細(コマヤカ)に採り(ヒロ)いぬ。

  • 和銅4年=711年
    • 天武が行おうとした帝紀と旧事の誤りを正すという試みは天武の死去により行われておらず、元明が引き継いだとしている。
      天武が稗田阿礼に誦習させた帝紀と旧事から撰び録して献上するように、元明が安万呂に詔したので、安万呂は詔の趣旨に従い阿礼の誦習から細やかに拾い出した。

然 上古之時 言意並朴 敷文構句 於字卽難

(シカ)あれども、上古之時(カミツヨノトキ)(コト)(ココロ)(トモ)(スナオ)にして、文を敷き(コト)を構うること、(カラナ)に於きては難し。

  • しかしながら上古にあっては、言意共に素朴で、それを文章にするのは難しい。という。

已因訓述者 詞不逮心 全以音連者 事趣更長

(スデ)(ヨミ)に因りて述べたるは (コトバ)心に不逮(オヨバズ)。全く(コエ)を以ちて(ツラ)ねたるは、事の(オモブキ)更に長し。

  • 漢字で記すに際して、訓読みだけでは意味が伝わりにくく、音読みだけでは文が冗長になる。

是以今 或一句之中 交用音訓 或一事之內 全以訓錄
卽 辭理叵見 以注明 意況易解 更非注

(ココ)を以て今、或いは一句之中(ヒトコトノウチ)(コエ)(ヨミ)とを交へ用い、或いは一事之內(ヒトコトノウチ)に全く訓を以て(シル)しぬ。
即ち、(コトバ)(コトワリ)の見え(ガタ)きは、 (シルベ)を以ちて(アカ)し、(ココロ)(オモブキ)(サト)り易きは、更に(シルベ)せず。

  • 音訓を交える場合と、訓のみで記す場合がある。筋道の解りにくいものには注をつける。

亦 於姓日下 謂玖沙訶 於名帶字 謂多羅斯 如此之類 隨本不改

亦、(ウジ)に於て日下をくさかという。名に於て帯の(カラナ)をたらしという。如此(カクア)(タグイ)は、 本の(マニマ)に改めず。

大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世

大抵(オオカタ)所記(シルセル)は、天地(アメツチ)開闢(ヒラケシ)より始めて、小治田御世(オハリダノミヨ)(オワ)る。

  • 小治田御世…推古期

故 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷
神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷
大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷
幷錄三卷 謹以獻上

(カレ) 天御中主神より以下(シモ) 日子波限建鵜草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)より以前(サキ)上卷(カミツマキ)と為し、
神倭伊波禮毘古天皇(カムヤマトイワレビコノスメラミコト)より以下(シモ) 品陀御世(ホムダノミヨ)より以前(サキ)中卷(ナカツマキ)と為し、
大雀皇帝(オオササギノスメラミコト)より以下(シモ) 小治田大宮(オハリダノオオミヤ)より以前(サキ)下卷(シモツマキ)と為す。
(アワセ)三卷(ミマキ)(シル)して (ツツシミ)獻上(タテマツ)る。

  • 上巻…天之御中主神~鵜草葺不合尊
    中巻…神武~応神
    下巻…仁徳~推古
 

(真福寺本p006a)

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中卷大雀皇帝以下小治田大宮以前爲下卷幷錄三卷謹以獻上臣安萬
侶誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勳五等太朝
臣安萬侶~

臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首

(ヤッコ)安萬侶、誠に(オノノ)き、誠に(カシコ)まり、頓首頓首(ヌカズキテモウス)

和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶

  • 和銅五年…712年
 

  • 一言。
    古事記古写本の中で、最も古いとされる真福寺本であるが、書影でも解るように、かなり雑。
    これを書写したという賢瑜が、内容を理解していたのかどうかさえ疑問。
    安万呂の序文と本文を区切りもつけず書き連ねるとか感覚を疑う。
    また、この序があるが為に偽書と疑われる事もあったわけである。(本文にない事跡を安万呂が記している点等)
  • 「たまひ」は「たまい」に揃える事にする。hiでもiでもなくfiが近いのだろうと思うが、拘っても仕方ない。
  • 現代語訳については、やってできないことはないが、語句説明が冗長になるので、今のところ予定はない。
    読む事が出来て、意味が理解できればそれで充分。
    それにつけても、高踏的且つ慇懃阿諛で読むほどに気持ち悪くなってくる文ではある。

next→『古事記』上巻p006~


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Last-modified: 2018-10-28 (日) 11:57:51 (17d)