「故郷忘れじがたく候」 司馬遼太郎著       文責:「風姿」
 文庫の整理をしていて、ふと読み返してみた。
これは薩摩焼14代沈寿官氏についての話である。
司馬遼太郎氏が亡くなった後、NHKがその追悼放送を行い、沈寿官氏がこの書について想い出話を語っていた。
「家にも玄関はありますよ」
これは可笑しかった。

笠沙の岬に神武一行が上陸したとき、「この地はカラ国に向かい云々」と書紀に記されており、
地図で見ると、そのカラ国がどうしても理解できなかった。
ある説ではカラ国は韓国岳で霧島だと言う人もいる。
「それはないだろ」と思っていた。
なぜかと言えば、笠沙の岬に立てば解る。
岬に立って、霧島方向は見ない。誰だって海の方を見る。
波浪のうち寄せる広大な海を見る。よほどの変わり者でも霧島方向を見たりしないし、まず見えもしない。
思考を停止させられる光景が遙かに広がるのである。

苗代川に玉山宮という社があり、壇君を祀っているという。この宮から東シナ海を通じて全羅北道南原城を偲ぶのだという。
この記述を読んで、神武一行の「カラ国」を納得したのである。
ちなみに、地元伝承では、神武一行は沈一行と同様に海から上陸したのである。(上陸地点は違う、前者は笠沙岬の南側)
柳田が海の道を記して後、それが当たり前のように思われているが、この例のように、海の道は多様である。
それ故、明末、国姓爺「鄭成功」の例を出すまでもなく、還東シナ海に倭人の活躍が可能だったのである。

更に、司馬氏は玉山宮社家の小社に韓神としてスサノウ命を祭っていると、記している。
新羅・慶尚北道慶州がソシモリだと言われているとも記す。

フム。
各地に「韓国伊太(テ)神社」というのが散見され、祭神が大己貴神・少彦名命とされていることが多いが、
本当の祭神は不明である。(個人的には五十猛命が本来の祭神ではないかと考えている)
宮中では韓神の祭りなるものもある。

話がそれた。
残念ながら、沈寿官氏と面識はない。しかしテレビや写真で見る姿は、いかにも薩摩人である。
にもかかわらず、「故郷忘れじがたく候」である。
福岡の高取焼故「高取静山」さん、萩焼の先代「坂倉新兵衛」氏などもこの沈寿官氏と同じ思いであった。
大学生の頃、在日韓国人・在日朝鮮人の3世達と交流があった。
彼らの自主活動「ハングル語学習会」(活動目的は学習会後の焼き肉パーティー?)のサポートなんかをやっていた。
出身地の南韓・北鮮で呼び分けているが、「ややこしいなあ」と言っていたら、直に、在日高麗(コリョ)3世と自称し始めた。
南北統一を願っての自称であるという。

さほどに、隣国は近くて遠い国なのであるが、遠くて又近い国でもある。
金大中氏が大統領になり、さすがに老獪さを顕わし始めている。
この機会に、モヤモヤを晴らしてもらいたいと期待もし、願ってもいる。

司馬氏の本著を読み返して、そんなことを思った。

南北共、経済情勢不安定な昨今、少なくとも、日本のおっさん達、キーセン旅行は止めろよな。