「出雲大社」 千家尊統著       文責:「風姿」
第82代出雲国造を自称する、千家尊統氏の著作である。
今時、「国造」でもあるまいに。それはまあ、さておき。出雲大社82代宮司の著作である。
まず、この書は、出雲大社宮司家の立場から書かれていることに気をつけておかなければならない。
千家の他、海部家、阿蘇家等、現天皇家と同等若しくはそれ以上の旧家を誇る家系は、
どこかに天皇家との関わりを誇示する風がある。つまり、現天皇家の家系に疑問をはさもうとしないのである。

 大体に、神社巡りをしていると、各神社の宮司は旧家を誇る者が多い。
宮居が動かぬ限り、宮司家もその土地に捕縛され動けないから、当然旧家となる。
 明治期以前、食えない宮司が沢山いて、氏子総代が養っていた。
明治期の廃仏毀釈で、国家神道政策により保護され、一世の栄華を楽しんだ宮司家も、戦後は国家保護を失い、
氏子も、神道家氏子は少なく、地縁氏子ばかりとなり、正月初詣と結婚式・地鎮祭・秋祭り等で何とか口糊をしのいでいるのが実状である。
 それはさておき、出雲大社である。
千家氏は天穂日命を祖とする。天穂日は、高天原から出雲に遣わされたが、大国主命におもねり、出雲に土着した。
 つまり大国主命とは直接の血縁はない、奉祭者である。

 ここで、一点確認する。大国主命は葦原醜男と呼ばれ、天穂日命が遣わされたのは葦原中ツ国であるから、
葦原中ツ国は出雲周辺である。福岡県中津市等という奇妙な説があるが、これは否定される。

尊統氏は、出雲神話を抽象的な神話学なるものでもって、理解しようとする。
高天原は天上界とし、素戔嗚尊や大国主命にまつわる神話は、農耕治水の抽象的な開拓史変遷に絡めて、解説している。
果たしてそうなのか。疑問に思う。農耕治水の開拓史であるなら、別段出雲でなくても全国何処でも良い。
出雲神話が豊かであるのは、この土地にまつわる具体的事実が前提にあったからであるはずである。
でなければ、空から降ってきた天穂日命の子孫である千家氏が、長々と宮司家を務める理由がない。
千家氏でなくても、誰でも良いことになるであろう。
 更に、出雲の小社にまつわる細々とした具体的伝承や記紀に記載のない祭神等の説明がつかなくなる。
出雲神話・伝承のおもしろさは、人々の身近なところで、人間的な神々が喜怒哀楽の活躍をしているところである。
神話の抽象化や、記紀がらみの政治性に惑わされてはならないのである。

以上挙げた点に注意しておけば、この書は出雲大社・出雲神話を語るとき避けて通れない書であることに間違いはないし、
多くの古代史家達のネタ本となっている事実も付記しておこうか。
(続く)