98/07/19 上関町祝島に渡る。
「被爆2世の会」の他、学生・社会人等20数名と
「上関原発を建てさせない祝島島民の会」(以下、「島民の会」と略)との間の意見交換会が主目的である。
祝島は上関町の長島「中国電力上関原子力発電所建設予定地」の対岸にある島で、静かな漁村である。

 上関原発建設計画の推移については、別稿資料に譲るが、今回の祝島行きは、
中電が上関町に原発PR館を建てようとしていることに関して、きな臭さを感じ、意見交換会を呼びかけたのである。
 祝島では漁協が中心となり、島民一丸となって反原発運動を行ってきている。
現在、原発建設予定地周辺に漁業権を持つ8漁協の内、唯一の反対派である。

 これまでの反対運動の経緯を聞くと、島民の会の人達は、笑い話のごとく話された。
「立木トラスト運動は現在小休止です。というのも希望者が多すぎて山に分け入るのが大変だからです」
「土地共有化運動も現在小休止です。これも、希望者が多くて、いつでも分割共有を進める準備は出来ています」
「環境影響調査の時は、夜中の3時頃調査船が海上に居るのに気づき、実力阻止の為に、漁船で突撃したんですよ。
夜の海に落ちたらお終いですから、生命がけでしたね。
朝になって、マスコミや海上保安庁が来た時にはもう阻止し終わっていたので、何事もなかったようなものでしたよ」

「町内には、祝島島民以外にも反対派は多数居ます。選挙結果で解りますよ」
「今は中電の方が焦っているのではないかな、環境影響調査報告書の有効期限が切れますからね。私達は焦っていません。」
16年間に及ぶ反対運動から来る自信を感じると共に、その苦労を笑い話にして話されるゆとりをも感じた。

 しかし、その一方で、
「反対運動を始めて、最初の10年間は、国・県・町の公共事業は全てストップされました」
「島外の上関町の賛成派の親戚とは、親戚つきあいが無くなりました」との言も語られた。
苦難の歴史と苦渋の想いがひしひしと伝わってきた。

「私達は国の方針や、政策等難しい話は良く解りません。とにかく目の前に原発が建てられるのが厭なんです」
「広島からの釣り客に、原発が出来たらもう来ない、と言われたのがショックでした。
遊漁船収入で成り立っている島ですから、これは死活問題です」
原発反対の理由として、これ以上素直なものは無いだろう。

「祝島では戦後GHQが来た時も農薬は散布しませんでした。今でも全く使っていません。
これは島の一番の自慢です。薬草の宝庫という人も居ます」
「一番の悩みは子供の数です。小学生・中学生あわせて8人しか居ないんです」
この他、予定時間を大幅に超過して、色々な話を聞くことが出来た。


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