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古事記では、水蛭子 |
日本書紀では、 本文…記載無し。 一書の1…蛭児 一書の10…蛭児(淡路洲の後) |
この神は記紀共に重視していない。尊称である「尊」「命」がつけられていない。 通説では、蛭のように骨のない身障者であったので、ヒルコと呼ばれ、生まれて間もなく葦舟に乗せて流された。 つまり遺棄したとされている。 ところが、(上記)にはこの神について独自の記載がある。 (上記)では「蛭子尊」と呼ばれ、人神の扱いになっている。 そして流罪に処せられているのである。 速進男尊(ハヤスサノオ)が出雲から北上し蝦夷国に渡ったとき、舟で魚を釣っている老人に出会っている。 その老人が速進男尊に応えて「吾は汝の家兄、蛭子尊なり。此の国を作り固めんと欲す」と言っているのである。 (上記)に云う蝦夷国とは、今の北海道のことであり、流罪にあった蛭子尊が、蝦夷国つまり北海道の開拓神とされているのである。 |
私は蛭子尊は人神として実在したのではないかと考えている。 今でこそ、障害を持って産まれた子を流す等と云うことは法に触れる犯罪であって、行われることはない。 しかし、近世までこの風習は以外と広く行われていたのである。 悲しい風習ではあるが、流すのであって殺すのではない。 (ある地方では、産まれた子の口を塞いで殺していた地方もある) その子の運を天に預けるのである。悲しさの中に一抹の情愛を感じることが出来る。 そのような風習である。 蛭子尊に関する、(上記)の記述はこの様な風習に対する救いとして記されていたように私は感じるのである。 ただ、現在の所、東北・北海道の伝承収集まで出来ていない為、実在を断言する事は出来かねている。 機会があれば、いつか、この神の伝承に触れたいと願っている。 付記しておくと、我が家の遙か遠縁に「蛭崎」という家名を持つ一族がいる。蛭子尊と関わりがあるのかもしれない。 |
蛭子が「日流子」の意味で太陽神を流す説話であるという説もある。 これについては、天照大神の稿で考察する。 |