中臣氏
古代の一族として有名な中臣氏についても考えてみます。

中臣氏の始祖は、天兒屋根尊とされています。
古事記で、天照大神の岩戸隠れの際、重要な働きをしています。

天兒屋根尊の22世の孫が中臣鎌足です。

物部氏や大伴氏の稿で行ったのと同じ様な年齢計算をしてみます。
天兒屋根尊は天照大神と同世代と考えて良いでしょう。
中臣鎌足が大化改新に関与したときと、天兒屋根尊が岩戸隠れに関与した年齢をほぼ同じと考えてみます。
(鎌足は青年期で、天兒屋根尊は中年期とも考えられますが、さほど根拠が明確ではなく、
計算上大きな違いにはならないので簡略化して計算します。)

645ー25×22=95年となります。

天照大神の岩戸隠れが、西暦95年前後と考えられます。
ここでも、基準時期を物部氏・大伴氏で用いた欽明時期から大化改新時期に約150年移しても、
天照大神の時代が、西暦1世紀後半頃という結果がでます。

物部・大伴・中臣の3氏系譜を用いた年代推定の妥当性を認めるなら、
ヒミコと天照大神の同一人物説は成り立たないことが解ります。
海部氏や阿蘇氏などの他の系譜を用いて、同様の推計を行ってみて下さい。
いずれも似たような結果がでてきます。

安本美典氏が、天皇在位年数から統計的に年代推定を行っていますが、
天皇在位年数よりも、この諸家系譜を用いた年代計算の方が確度が高いと考えます。
その理由は、資料の独立性と、多様性。及び世代間年代の一般妥当性です。
ついでに云えば、
安本氏が行っている統計(推計)処理に関しては、資料数が200弱で、統計対象とするには
その資料数が余りに少なく、誤差率が非常に高くなります。ましてや、天皇在位年数の計算で、
少ない代位範囲で統計処理(実は単なる平均値計算)を行えば誤差は非常に大きいものとなり、信頼度が極端に低いものになります。
これは、実際に安本氏の云う方法で偏差を計算すれば解ることです。


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