神武東遷 |
(神武の東遷ルート) 宮崎県日向市美々津 大分県佐賀関町 大分県宇佐市 福岡県宗像郡福間町東福間津丸 山口県新南陽市物部神上 広島県廿日市市上平良 広島県安芸郡府中町 |
神武帝は熊襲の居候で、態度が太くなったので 一族郎党まとめて追い出された。 仕方がないので東進し、畿内に移った。 後で、格好悪いからと、神武東征なんて言っていた。 杉にツツジを接ぎ木して、出来たのが記紀です |
「物部氏」の稿で記したように、神武東遷の時期が西暦で2世紀後半から3世紀初頭の出来事だと 考えると、これはヒミコの時代に相当します。 ヤマタイ国と狗奴国との関係が悪化したために、神武一行は南九州から立ち去ったと考えることが 出来ます。 当初行く当てもなく、結局、同族と思われる饒速日尊の一族を頼っての出発だったのでしょう。 浪速到着時に、すでに饒速日尊は亡くなっていたため、長髓彦との争いが生じたと考えられます。 |
上記の神武東遷ルート中、新南陽市の神上神社に残る伝承が、神武の実在を物語ります。 神上神社に関しては、記紀には一切記載がありません。 この神上神社は、物部氏の奉祭する神社で、山中にある創建年代不明の古社です。 伝承は神武一行が瀬戸内を航行した際、台風のため難破し、この地に避難し、 地元の人たちの応接を受けたというものです。 |