神社縁起
神社の縁起には幾つかの様態がある。

一つには、陵墓地を崇敬するもの。この場合、陵墓地前方に社を築き、この社から参詣する。
陵墓地は、通常禁足地とされる。山中に埋葬した場合、その山自体を崇敬地とする。
奈良の大物神社がこの例である。

二つには、居住跡地。この場合政治の場所として集会所の機能を持つ。
島根県の須賀神社がこの例である。

三つには、事跡地。何らかの事跡があった場所にその事跡を記念して社とする。
島根県加賀神社がこの例である。

四つには、勧請地。ある氏族が移動したとき、元の地から神の分社を行う。
山口徳地の出雲神社がこの例である。

五つには、特定の神の畏怖地。
京都の貴船神社がこの例である。

神社で天皇を正式に祀り始めた最初は応神です。
「正式」にというのは、正式でない場合があるからです。
つまり応神以前の天皇ですね。

日本の伝統的宗教観の絡みもあるのですが、
神様と云うとき基本的には2種類あって、一つは自然神です。
もう一つが独特で、人が死んだらみんな神様になるというものです。
仏教のように、功徳を積まないと仏になれないなんて事はないのです。
で、この神様達は、生きた人間のすぐ近くに何時でもいるわけです。
でも日頃は、人には無関心で、神様それぞれで過ごしているのです。
又、人に対して用事がないときは姿も見せないわけです。

祖霊つまり死んで神様になった人達は、子や孫が気になるので、結構身近にいて、自分が此処にいるぞと、それとなく知らせるために、蝶々や鳥に乗り移って子や孫に姿を見せようとしたりもするわけです。

日本の神様というのはこんな方々ですから、人とさほどの違いはないというのが基本です。
それで、人が死んだときも、悲しむのではなく「お祭り」として、神様になったお祝いをするわけです。

しかし神様達は、人と違う神的能力をもっていますから、怒らせると怖いわけです。「祀る」というのは、「怒らないで下さい」というのと同じ行為の「お願いをする事」であるわけです。

この様な事を前提にして、
神社が創建されるのには、幾つかパターンがあります。

1) 神霊や一族祖霊の礼拝地。
2) 神霊の顕現地。
3) 神となった人の生前の事跡地。
4) 神様と人が一緒に宴会をする場所
5) 神霊の勧請地。

等です。
天皇の場合、神社で祀るのは、1の場合です。
ですから、多くはないわけです。せいぜい3がある程度です。

応神は別で、応神は宇佐に稚児姿で顕現したといわれ、宇佐八幡宮というのは2の場合を含むわけです。

で、各地の八幡宮は武家の世で、源義家が応神の神霊を奉じて戦果を上げたという伝説から、勧請されることが多くなったためです。
つまり5の場合がほとんどです。
勧請する場合、本来の神様を脇神又は境内社にして、応神を主祭神として迎えることが多いわけです。

応神以前の天皇については、墓陵以外で祀られるのは事跡地だけですから、そんなに多くなく、八幡宮に変わっていることも多いのです。
ですから、脇神や境内社を見なくては解らないことが多いのです。

前方後円墳の場合、その規模にもよりますが、初期には前方部分で祭礼儀式を行うように造られていたと考えられています。
前方部が時代と共に高くなっていくと、前方部の更に前部で祭礼を行うようになってきます。
墳墓が巨大化すると造り出し部分で祭礼儀式を行うものも生まれます。
祖霊墳墓が遠方にある場合、礼拝施設として神社創建が行われたものもあるようです。特に山中に墳墓がある場合、山裾に神社を建て、礼拝方向に墳墓があるような位置関係で創建されます。
又、神社社殿の下に墳墓があるものや、社殿後方に墳墓があるものなど、神社と墳墓の位置関係は多様です。
 無論、神社創建に至る迄にはかなり長期間の祭礼の継承が前提となりますから、神社創建に至らないままの墳墓も多数あります。
又、墳墓群のある地域では、右代表的神社を創建している場合もあります。
天皇墓陵に限ったものではないことは云うまでもありません。

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