記紀への疑問
古事記、日本書紀には各所に疑問を持たざるを得ない記述が多い。
古代史論争が盛んであるのは、この記紀に対する疑問点があるからである。

a) なぜ、古事記、日本書紀という2書が正史として残されているのか。
b) なぜ、初期の天皇在位年数が長いのか。
c) 直系系譜は信用できるのか。
d) 他国の正史と記述上の異同(なぜ、ヤマタイ国・ヒミコの記述がないのか)

等々である。
この稿では、私が考察してきたことについて、まとめていくことにする。

大論争で行われている議論の中には、
思いつき語呂合わせとしか思えない、あまりに愚かしく我慢のならないものがある。
現地調査のない語呂合わせなど、止めてもらいたい。
書物の流用、聞きかじり、ご都合主義的読み替えによる超観念論的意見など、
議論の俎上に上げて欲しくない。
歴史について語るなら、歴史を語る上での基本的考察方法は心得ておいてもらいたい。
イメージ先行型の観念論的歴史観、具体的根拠かつ物的根拠のない議論は御免被りたい。
又、古代史に興味を持ち始めた人の記述には、単なる無知と思える記述も多い。
知らぬと云うことを非難するつもりは更々ないが、
その様な人へのresに、超観念論的resを行えば、混乱を招くばかりである。

 歴史を明らかにしようとする事と、歴史を弄ぶこととは根本的に違う。

次々掲載される根拠の薄い珍説・奇説、あるいは単なる質問に、その都度resするのも疲れる。
同じ内容を繰り返したくないので、掲載済み分はここで纏めていく事にする。
本当は、自説は著作化するまで、表明したくなかったが、致し方ないのでこの稿を利用して
基本的な事だけは記していく事にする。
古事記、日本書紀ともに、その成立は白村江の戦い以後である。
蘇我氏滅亡とも絡むが、これは、重要な点であろうと考えている。
記紀の様式を見ると、古事記は比較的全体が整い、書紀は一書に曰く形式が多い。
おそらく、古事記は対外政策用、書紀は対内政策用であったと考えられる。
この辺りは、いずれ詳述するつもりであるが、基本的観点は以上のようである。

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