原始神道
道教が早い段階に列島に伝わっていたことに異論はありません。
いわゆる三皇五帝説話等は、紀元前には伝わっていたのではないかと考えています。ただ、伝わってはいても、単純には受容されていなかったように思います。
(黄帝説話だけは、海洋民には早くから受容されたと思います。)

又、薬草を用いる医術的なもの、あるいは呪術の医術的側面等がかなり早い段階で伝わっていたことにも異論はありません。
(記紀では大国主命の説話となっています)
この件に関しては、受容は早かったと考えています。
(張魯の件はこの方面でしょう)

道教のこの様な部分と、アイヌの信仰・琉球諸島の信仰等が混淆して、原始神道なるものが形成されていったのだろうと考えています。
(原始神道というのは私の造語です)
 これは、自然崇拝と生命に関する畏怖の念を示す性器崇拝が混淆したもののように思います。

ただ、この原始神道が何時の段階で鏡を用いる祭祀と関わり始めたのかに関してはさほど古い時代では無いのではないかと考えている次第です。
鏡を用いる祭祀というのは、哲学的にはかなり高度なものだと考えているからです。一般には太陽信仰のように受け止められていますが、
神道に伝わっている祭祀を見ると、太陽信仰以外に、祖霊の招魂祭祀に用いる意味の方が強いと考えられるからです。
内容的には琉球系で、形式上は道教系と考えています。
この様な混淆によって、原始神道が形成されたと思われます。
いわゆる天照大神の岩戸隠れで鏡が用いられていますが、その内容を考えると、混淆前の時期であったのではないかと考えられるのです。

ついでに云うと、ヒミコのいわゆる魏鏡ですが、古墳から出土するものに比定できるのかどうか疑問を感じています。
というのは、先ず魏鏡の用途が問題だと思うからです。
可能性としては、王権示威と祭祀でしょうが、いずれの場合にしても、
被葬者に合葬するとは考えにくいのです

私は、ヒミコの鏡は、三角縁神獣鏡ではなく、小型の内行花文鏡だと考えています。
というのは、神社に伝世される古鏡は、これが最も多いからです。
「神道」という語句自体については、中国4C初頭の干宝の作と考えられる「捜神記」序文に、
「及其著述亦足以発明神道之不誣也、」とあり、ここでの「神道」は超現実的な摂理というほどの意味で、
内容的には40の夢物語について記されています。

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