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徳島県徳島市国府町屋野 |
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祭神:八倉比売命(=大靈女命?) 境内社:2社、 |
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拝殿 |
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本殿 |
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本殿奥の石積み |
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「風姿」 99/06/13 はてさて。 気延山南麓にある神社である。 元は、気延山頂にあったと云うから、それなりの古社であろう。 しかしながら、地元の方には申し訳ないのだが、はっきり言うと、この神社の縁起は怪しいことだらけである。 まず主祭神が大日靈女命とされていること。 参道中途に祀られている祭神が天石門別神とされているが、その2祭神の名は、 実は、先に三好町の天戸神社に祀られていた脇神2神と同名である。 この後記すが、一宮町の一宮神社や、神山町の上一宮大粟神社と、整合性が全くとれないのである。 おそらく、この神社の縁起は、ある時期に周辺神社の縁起取り込みを行い、記紀の記述に合わせて、 比定化したものと考えられる。 本殿奥にある、五角形の石積遺構が、卑弥呼の墓等というに至っては、開いた口がふさがらない。 《考察》 神社縁起を無視して考えると、この地は吉野川と鮎喰川との出会いの地である。 国分寺が創建されたことからも解るが、古くから開けた、土地柄である。 八倉姫命というのは、この地方に古くから祀られていた地主神であろう。 大靈女とは何の関係もない神格で、巫女であったのかも知れない。 伊勢神宮がその縁起を整備された頃、それに伴って、 この地方独自の様々な神格も記紀神話縁起に関連付けられたのだと考えられる。 更には、古神道家の流説によって、阿波ヤマタイ国説がとられるようになり、 現在の摩訶不思議な状態が生じたのであると考えられる。 |