98年2月14日

福岡県中間・鞍手方面をうろつく。
地図上では県道29号線途上に「猿田峠」があり、JR筑前垣生駅北方の遠賀川沿いに
「猿田彦神社」が記されている。以前から気になっていた地区である。
当日小雨状態。
「猿田彦神社」は500坪前後の社地であったが、現在社殿がない。
小祠が三基置かれている他は、石塔があるばかりである。
更に西行すると、剣神社があった。村社の扱い。
主祭神は素盞嗚尊、日本武尊
脇神として、厳島姫・猿田彦等を祭っている。
縁起は不明だが、石碑に「倭国大神猿田彦大神」の記載が残る。
剣神社は、同名社が防府市右田にもある。(ここは景行天皇を祭っている)
「猿田峠」を越え、宗像市に入る。峠を越えた直後、右手に旧道がある。
旧道を進むと、すぐ鳥居があり、もしやと思い立ち寄るとやはり「猿田彦神社」となっている。
地図に載っていない神社である。急峻な石段の参道が残っている。
石碑が二基置いてあり、左手には「猿田彦神社」右手には「豊日社」と彫ってある。
階段を上りつめると、山頂は切り開いてある。
社殿跡が残っているが、小祠が一基据えてあるだけである。
石灯籠等があったようだが、全て崩れている。
樹木が鬱蒼と茂っているが、木間からは宗像方面が一望できる。
砦のような地の利である。
峠を越えると、左方に「猿田」という地名の集落があった。

この猿田彦神社が豊日社と称していたとすれば、これは重要である。
行橋市に「豊日別神社」という古社があり。かつて、官幣社豊国一ノ宮を称していた。
明治期にこの宮で古文書が発見され、
そこに「我は倭国大神、猿田彦大神也・・云々」と記されていたのである。

さらにこの古文書には、神官の系譜が記されており、それによれば、
大伴金村が欽明期に任那4県割譲の責任をとって隠棲したのがこの地であり、その子孫が
この宮の神官となり、長く「神」氏を称していたのである。
無論、正史とされる記紀等には一切記載はない。
又、豊前周辺の神社の縁起には、必ずと言って良いほど欽明天皇絡みの縁起が残されている。
欽明天皇は秦大槌により養育されたと書紀は記すが、豊前周辺は正倉院文書によれば
秦氏及びその家臣団である漢氏の多く住む地区であった事が明らかにされている。
更に、風土記逸文では、豊前京都(みやこ)郡について、
「天照大神の神京なり、いにしえ、天孫此処より発つ」と記されている。

 この日は、南下し若宮に廻り、脇田温泉に向かった。
弱放射能アルカリ温泉である。
此処には「湯の禅」と名付けられた露天風呂がある。
(温泉街のはずれを山腹に登る。案内があるのですぐに見つかる)
ジャグジー・サウナ・打たせ湯と揃っている。
祝祭日は来客が多いためか、湯はややカルキ臭い。
夜7時迄受付、800円。石鹸あり。
博多方面からの帰りがけに、ちらっと寄るのには便利である。私的には4度目。

帰りがけ、新発見。何とガソリン78円を見つけた。正確な場所はよく解らなかったが、
県道21号線長井鶴付近。改装前の特売とか。立派。

ちなみに若宮という地名はここにある若宮神社にちなんでいる。
九州で若宮とは応神天皇の皇子である仁徳天皇の事である。
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